今回は私の妻が妊娠14週で切迫流産をした時の辛い経験をお話しします。
妊娠12週以降の流産は後期流産とも言われ、『死産』という扱いになりました。
妊娠12週以降22週未満の流産の確率は約1.5%で、12週以降から流産の確率が低くなると一般的には言われております。
確率論でいうとたった1.5%の確率ので流産したということになります。
では、何故妻は流産してしまったのか。原因は?
この記事を読んでわかる事
- 流産経験をしてわかったこと
- 旦那としてどうやって妻を支えたのか
- 流産経験後の立ち直り方
思い出すことも辛いですが、少しでも誰かの参考になればと思いお伝えしたいと思います。
順調な妊娠生活
初めて心拍が確認出来てから流産するまでは特に変わった様子もなく順調な妊娠生活でした。
産婦人科医からも『順調だね』『元気な心音が聞こえるね』と言われ、
日々成長していることに幸せな時間を過ごしておりました。
妊娠したのは妻が30歳過ぎた頃。
初めての子どもだったので、検診がある度に私たちはドキドキしていたのを覚えています。
毎回、検診が終わって妻は嬉しそうにエコー写真を私に見せながら、
先生と話した会話を事細かく説明しておりました。
そんな妻を見て私も自然と嬉しくなって、
これから生まれてくる赤ちゃんとの生活をイメージして楽しく生活を送っておりました。
妊娠12週が過ぎると、流産の確率はかなり低くなると何かのネット情報でみていたので、
早く12週を無事に過ぎて欲しい。と、そう思っていました。
12週を無事に過ぎた頃でしょうか、妻はこれからの事を考えて職場の上司に相談したところ、
とても上司は喜んでくれたみたいで、負荷が掛かる仕事はさせないよう会社全体で協力して頂くようになりました。
会社で重労働することもなく、メンタル的にも体調的にも良好に過ごす事ができていて、
周りの方に本当に助けていただきました。
そんな順調で幸せな私たちがまさか流産を経験するなんて思ってもいませんでした。
突然の異変
妻に異変が起こったのは流産する1週間前のこと。
妊娠13週目の頃です。
平日のお昼頃に職場にいる妻から電話がありました。
『出血した・・・』
仕事を早退し、妻は産婦人科で先生に診てもらうことに。
私も妻のことが心配で堪らなかったので一緒に産婦人科に向かいました。
コロナ禍だったので、産婦人科の駐車場で妻を待つこと40分。
妻は産婦人科から出てきました。
先生からは、
『赤ちゃんの心音は元気に聞こえるし、胎盤も下がってないから大丈夫そうですよ。』
『念の為安静にして過ごしてください』
と言われたようです。
私はホッとしましたが、妻の表情は曇ったままでした。
それから妻はトイレに行く度に出血していないか本当に怖がっておりました。
職場で出血してからその日は一度も出血が見られなかったので、妻は次の日から出勤しました。
流産する2日前
深夜2時過ぎ。妻は激しい腹痛で目が覚めました。
『いたたたたた・・・』
あまりにも苦しそうな声が聞こえたので私もハッと目が覚めました。
『起こしてごめんね、ちょっとトイレに行ってくるね』
お腹を抱え込むようにして妻はトイレに向かいました。
『また、出血している・・・どうしよう・・・』
目から溢れる妻の涙。
夜間に産婦人科へ緊急電話をすると、
『朝一番で診ますのできてください』と言われました。
先生からは詳しい検査はこれ以上は出来ないと言われたので、
紹介状を書いていただきそのまま大学病院へ向かいました。
大学病院に到着してすぐに再検査を受けさせて頂いたので、
それから40分ほど妻は診察に行ったきり、戻ってきませんでした。
すると看護師が私の所へきて診察室に案内されました。
心臓が飛び出る程、緊張して診察室に入るとそこには先生と笑顔の妻がいました。
『こんなに元気に心拍の音が聞こえるからきっと大丈夫だよ!』
『もし不安なら入院してもらうこともできるけど、
安静にしてもらうことしか出来ないからどうするかは二人で話し合ってね〜』
すっかり安心した私は妻と相談し、その日は家に帰って安静に過ごすようにしました。
妻は深夜2時頃から夕方になるまで一睡も出来ず疲れていたみたいなので、すぐにその日は寝てしまいました。
流産当日
私もホッとして眠りついた頃。再び深夜2時過ぎ。
前日と同じ様子で妻が苦しそうな声をしていてトイレに行きました。
すると、トイレから妻の大号泣が聞こえてきて、私に叫びました。
『赤ちゃんが出てきてる!』
当然、赤ちゃんは即死。
私はすぐに救急車を呼び、お昼にいった大学病院へ妻と搬送されました。
救急車の中で妻は泣き叫んでおり、
私に繰り返し『ごめんね。。赤ちゃん守れなかった』と何度も謝ってきました。
病院に到着後、妻はすぐに処置室へ運ばれ私は薄暗いロビーで待機することになりました。
夜中でしたが、入院している妊婦さんがお腹をさすりながら何人か私の前を通りました。
妊婦さんが通る度に私は胸が締め付けられるほど苦しく、辛い時間でした。
1時間ほど時間が経った頃、看護師さんに処置室にくるように案内されました。
死産の手続き
処置室に近づくにつれて、妻の泣き声が段々と大きく聞こえてきました。
処置室には泣いている妻と一生懸命励ましてくれている看護師と先生がいました。
妻の顔は腫れ上がり、私の顔をみて『ごめんね・・・ごめんね・・・』とまた謝り続けました。
妻の手を握って『謝る必要なんてないよ』と声を掛けることしか私には出来ませんでした。
自分の何もすることが出来ない無力さに悔しさが込み上げました。
それから妻が落ち着くまで暫く待っていただき、看護師から死産手続きについて説明を受けました。
『死産手続きの説明』
『火葬についての説明』
『赤ちゃんのお墓はどうするのか』
『最後に赤ちゃんとお別れはするのか』
淡々と看護師から説明を受け、病室へ案内されました。
病院側から配慮していただき個室にしていただきました。
個室とはいえ、そこは産婦人科前の部屋。
部屋の外から元気な赤ちゃんの産声や
『おめでとうございます!』『良かったね!』と祝福する話し声が聞こえた時は本当に辛かったです。
赤ちゃんと本当のお別れ
すっかり昼過ぎになっていました。
一睡も出来ず私だけ看護師に呼ばれて妻の入退院の支払手続きや死産手続き、
赤ちゃんの火葬手続きなどを行いました。
看護師から最後に亡くなった赤ちゃんをみることができると言われたので、
私だけ赤ちゃんをみることにしました。
自分たちの赤ちゃんの姿を初めてみた私は我慢していた涙が溢れてしまいました。
全ての手続きを終えて翌日から妻は退院出来ると聞きました。
翌日は平日だったので、妻の代わりに職場へ電話し今回の事を伝えました。
流産した原因はわからなかった
暫くして妻が通っていた産婦人科へ流産した事を電話でお伝えしました。
そこで先生になんで流産したのかを聞きましたが、原因の特定は難しいと言われました。
ネットで調べてみても流産経験者のほとんどが原因不明だと記事に書かれていました。
暫くは辛かった
退院してから、しばらくは何度もその時の事がフラッシュバックしてとても苦しい生活を送っておりました。
テレビで子どもの映像が流れてくるのをみたり、電車で赤ちゃんを抱っこしている姿を見かけたりすると、
妻は静かに泣いていました。
だから、一緒にスーパーに行ったりして買い物する時はなるべく妻の目に触れないよう意識を逸らしたり
してこれ以上ショックを与えないように気をつけていました。
私に出来ることは妻を支えることしかできないので、この時はとにかく
早く元気になってもらうよう色々と注意を払っていました。
例えば、退院してからバタバタしていたので、
『たまごクラブ』の雑誌や妻が通院で使っていた『トートバック』がそのまま残っていたので、
妻のいないうちにこっそり段ボールにしまったりと・・・。
妻の前では気丈に振る舞っていましたが、私だって本当に悲しく辛かった。
付箋が付いた妊娠に関するノートやエコー写真、マタニティマークのバッチ。
これらを片付ける時だって、ついつい数日まで笑顔で笑っていた妻を思い出すのです。
『なんで私たちだけ、こんなに不幸なんだろうか』
自然と私たちから笑顔は消え去ってしまいました。
立ち直るきっかけ
流産して2ヶ月経過した頃。
あまりにも元気がなく、痩せていく妻を心配して思い切って旅行を計画しました。
温泉でゆっくり寛いで、2人で色々と将来について話し合ったりしました。
その日を境に妻は段々と元気を取り戻してくれるようになりました。
流産を経験してみて
私たちはお互い仲の良い夫婦だと思っていました。
なんでも言い合える間柄で趣味や趣向もほとんど同じ。
周りからも仲良し夫婦ってよく言われていました。
そんな私たちですが、この『流産』を経験して一つだけ良かった事をあげると、
これまで以上に夫婦の絆が強まった気がします。
どん底に落ちた気分でしたが、2人で支えあって何とか楽しく暮らせるようになりました。
これは神様がくれた一つの『試練』だったのかもしれません。
ここでうまく乗り越えることが出来るのか。立ち直ることが出来るのか。
そんな事を試されているのかもしれないと。
そう、2人の間で無理やり納得させるしかありませんでした。
最後に
私は自分達が流産を経験するなんて思ってもいませんでした。
これまで順調に育ってきていたし、流産する確率だって低かったはず。
しかし、流産してみて思ったことは、『妊娠』『出産』は当たり前ではないこと。
それからネットや本などの情報はあくまでも参考程度にしかならない。
確率だって関係ない。ということ。
『誰にだって流産のリスクはある』という事だけ分かっていただきたいです。
ただ、流産するリスクに対してビクビク怯える必要はないと思っています。
『流産は防ぎようがないもの』だから。
今後、何度妊娠するか分かりません。
今、お腹にいる赤ちゃんを信じて楽しいマタニティライフを送らないと勿体ないです。
無事に子どもが産まれた時には妻や子ども周囲の方に本当に感謝してください。